坂本冬美 サカモトフユミの曲をダウンロード 歌詞・アルバム・新曲も充実 | 音楽配信サービス オリコンミュージックストア

Tue, 30 Jul 2024 13:10:56 +0000

?タイトルが「ブッダのように私は死んだ」なのに、 ラストに至ってタイトル回収どころか撤回!? 「お釈迦様のように」というのは、悟りを開く、全てを赦すってことかな。 彼に騙され利用されたことに気付き、捨てられ傷ついて… これまでのいろんなことを思い返して… ある程度、自分で諦めに近い納得もできたけど、 かと言って、全てを赦せるかというと… そんなに心広くないわよ! あいつが悪かったってことだもん。 改めて… 曲名 「ブッダのように私は死んだ」 はどういう意味なのか。 ブッダの死の場面は涅槃図として具体的なイメージがある。 沙羅双樹の花の下、横たわる仏陀の周りで多くの弟子たちや動物たちが嘆き悲しむ。 この曲は坂本冬美さんをイメージし、桑田さんが作詞した当時ハマっていた海外ドラマなどから着想を得て書かれたという。 曲中のヒロインは、華やかな世界の舞台に立ち、多くのファンを持つ。 その彼女が亡くなったりしたら… 或いは、いなくなってしまったら… (芸能界から引退してしまったら) どんなに多くの人が深く嘆き、大きなショックを受けることか…。まさに涅槃図…! だけど、ここで彼女は「私はまだ死ねないわ!」と起き上がる。 (お釈迦になる=死ぬ ↓ お釈迦になれない=死ねない) ♪やっぱり私は男を抱くわ もう恋はしないなんて思わない。 もっと良い相手は私の周りにいくらでもいる。 「男に抱かれる」でなく「男を抱くわ」と主体的な言葉。 最後に彼女がこの痛手に打ち負かされることなく力強く進んで行く姿を見せる。 しなやかにしたたかに。 ※追記(R3. ブッダのように私は死んだ/坂本冬美-カラオケ・歌詞検索|JOYSOUND.com. 1) 桑田さん自らの口上 「深く愛したあの人に、気づけば捨てられ、殺められ。この世を去った今もなお、女の業を抜け出せず…」 がこの曲の物語。 ♪やっぱり私は男を抱くわ の意味は上記と大きく異なる。 死んで尚、男という愚かで愛しい存在を菩薩のような広く温かい心で抱きしめる… うぅ〜ん… 私は捨てられ殺されてまで相手を愛せるかしら… ********** この曲を坂本冬美さんが大事に歌い続けてくれるだろうことが、発売日前から既に嬉しい。 NHKの歌番組とかでも聴けそうよね。 桑田さんがラジオ「やさしい夜遊び」のラストに 「坂本冬休み」って言ってて、「へ?」と思ったけど、モノマネタレントさんなのね!! 桑田さんの気遣いが全方向に広い…。 ************* 坂本冬美さんの歌詞解釈は、上記の私の読解と異なります。こちらのインタビューをぜひお読みください。↓ 【インタビュー】坂本冬美「全てを賭ける」、桑田佳祐書き下ろし曲に込めた思い 2020.

His (音楽ユニット) - Wikipedia

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坂本冬美「ブッダのように私は死んだ」歌詞公開 - 坂本冬美

忌野清志郎。1951年4月2日生まれ。病に倒れなければ先頃66歳を迎えたところである。矢沢永吉が67歳、泉谷しげるが68歳、海外に目を向ければミック・ジャガーは74歳で、先日、逝去したチャック・ベリーは90歳で新作を作っていたというから、"たられば"は禁物だと分かっているものの、"どう考えても逝くのが早すぎたよなぁ"と嘆息が漏れるところではある。ロックミュージシャンからアイドルへの楽曲提供が珍しくなくなり、音楽シーンがシームレスになりつつある昨今、これまた詮なきことを承知で書くが、清志郎が生きていたら我々が想像だにしないようなことをやっていたかも!? …なんて考えも頭をよぎる。忌野清志郎が演歌の坂本冬美、テクノの細野晴臣を迎えて1990年に結成したユニット、HIS。四半世紀も前にこれを仕掛けた清志郎は偉大であったと今も思う。 テクノ+ロック+演歌!? 忌野清志郎 と言えば、何と言ってもRCサクセションのヴォーカリストとしての活動が有名だが、RC解散後はThe Razor Sharp、2・3'S、Screaming Revue、ラフィータフィー、NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNSと、ソロ活動ではあるものの、スタイルはバンドにこだわっていた。また、ユニットでの活動も積極的に行なっていたことも多くの人が知るところだ。古くはシングル「い・け・な・いルージュマジック」での"忌野清志郎+坂本龍一"があるし、及川光博との"ミツキヨ"、あるいは、清志郎がメインではないが、テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!! HIS (音楽ユニット) - Wikipedia. 』の企画から生まれた、TOKIOの長瀬智也、松岡昌宏らとの"ぴんく"、さらには篠原涼子や木梨憲武らとのコラボレーションなんてものもあったりする。ザッと挙げただけでも、清志郎がいかに縦横無尽に活動していたかが分かるが、THE TIMERSと並んで(まぁ、あれは清志郎によく似た人なのだが…)、その登場が話題となったのは HIS だったのではなかろうか。そりゃあ、エキセントリックな話題としては、テレビの歌番組で放送禁止用語を用いた楽曲をゲリラ的に歌ったTHE TIMERSの方が数段上だが、音楽業界の垣根を超えたという点ではHISも十分に意義深い。今でこそ、ジャンルを超えたユニットによるコラボ曲は珍しくない。それこそヒップホップではフィーチャリングが当たり前といった印象すらある。だが、HIS結成の1990年頃には、少なくともメジャーシーンにおいて、他ジャンルとのコラボレーションが実現した例はこの他にはちょっと思い出せない。郷ひろみと樹木希林の「お化けのロック」「林檎殺人事件」くらいだろうか?

ブッダのように私は死んだ/坂本冬美-カラオケ・歌詞検索|Joysound.Com

いや、それも何か違うか──。個人的には、清志郎とテクノミュージシャンとのコラボはそれこそ「い・け・な・いルージュマジック」があったので、 細野晴臣 と一緒にやるのはまだ分かった。しかし、そこに演歌の 坂本冬美 が加わるというのは何かとても不思議な感じがしたものだ。坂本は1988年のRCのアルバム『COVERS』収録曲「シークレット・エージェント・マン」でのゲスト参加が清志郎との初コラボだったが、"わけも分からず参加していた"と当時を述懐していることから、坂本自身も不思議な感覚だったのではなかろうか。 これまた個人的には…と前置きするが、HIS結成がアナウンスされた時、テクノ+ロック+演歌ということで、"どんな未知のサウンドは聴けるのだろう?

坂本冬美が自宅で自主練 ようやく最終回 - YouTube