横溝ファンによる「犬神家の一族」ロケ地探訪・舞台巡りオフ (3ページ目) - Togetter

Tue, 30 Jul 2024 10:30:51 +0000

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映画の雰囲気そのまま「犬神家の一族」のロケ地となった旅館が話題に - ライブドアニュース

実は『犬神家の一族』映画化にあたっては、大きな困難が待ち受けていた。 「ミステリー(謎解き)というジャンル自体が、映画というメディアには適していない」 という、そもそもの問題があったのだ! サスペンスの神様と称される巨匠アルフレッド・ヒッチコックの言葉を借りてみよう。 わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。たとえば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームにすぎない。 謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ。 (晶文社「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」より) 「ミステリーとサスペンスの違いとは何ぞや?」という説明は長くなるので割愛させていただくが(詳しい解説は、拙稿「 アルフレッド・ヒッチコックは何故、サスペンスの神様となったのか? 」をご一読ください)、要は"推理もの"はヒッチコックのいうところの「一種のパズル・ゲーム」であって、映画的にはぜーんぜん面白くない、ということをこの巨匠はおっしゃっているのである。 では、市川崑はこの困難をどう乗り越えたのか? そのポイントを3つご紹介しよう。 1. 超高速テンポの編集&カット割り ほぼ全ての横溝正史作品に当てはまることなのだが、『犬神家の一族』は登場人物の血縁関係が複雑で、そこに土着的な因習やら閉鎖的な価値観やら混じってくるものだから、ややこしいことこの上なし! 映画の雰囲気そのまま「犬神家の一族」のロケ地となった旅館が話題に - ライブドアニュース. それを普通に撮っただけでは、単なるつまらない説明シーンになってしまう。市川崑はそれを避けるために、 超高速テンポの編集&カット割り を施すことで、 「物語が停滞することなく、複雑な人間関係&トリックが鑑賞者の頭に入る」という戦略 を立てた。 1、2秒単位でカットがどんどん切り替わったり、人物が話し終わらないタイミングでもう一人が話し始めたり、そのシーンに直接関係がないようなカット(しかし後にその関連性がわかる)を一瞬インサートさせてみたり。 主演の石坂浩二は、撮影を振り返ってこんな証言をしている。 聞き手「たとえば高峰三枝子さん扮する松子相手に一対一で最後の謎解きをやる場面を筆頭に、異常なカット割りだったような気がします。(中略)ああいった場面は、どのように撮られていったのでしょうか?」 石坂浩二「あのくだりは、いろいろなアングルで頭から終わりまで何度も通して撮ったんですよ。(中略)あのシーンは、五、六ヶ所から撮ったと思います。移動車も使いました。」 (新潮文庫「市川崑と『犬神家の一族』」より) 同じ場面をカメラ位置を変えて何度も撮り直すことで、あのような超高速テンポ編集が可能となったのだ。 2.

独特のユーモア感覚 ミステリー映画で苦労するのは、物語の興味が謎解きにフォーカスされるあまり、セリフが「説明的」になってしまうことだ。では、つまらないセリフをどうすれば面白くできるのか? 市川崑が考え出した答えが、 ミステリー映画には一見不相応に思える"ユーモア" だった。「よーし、わかった!」と繰り返しては、見当違いの方向に推理を巡らす橘警察署長(加藤武)は、一見すると単なるコメディリリーフにしか見えない。しかし実は、彼の発言を通して「事件の経過」をわかりやすく伝える、という重要な役割が与えられている。ユーモアが観客の理解を助けているのだ。 那須ホテルの女中はる(坂口良子)もまた、同じような役割を与えられている。金田一が「食べなさい、食べなさい」とうどんを勧めながら、はるに毒物について質問責めするシーン。「結局彼女はうどんをちゃんと食べれない」というオチが付いているからこそ、「ケシの実の毒性の主成分はモルヒネで、塩酸モルヒネが検出された」というコムズカシイ説明すら面白おかしく聞くことができるのだ。 3. スタイリッシュなビジュアル&デザイン もうひとつ市川崑が目指したのが、" 絵としての強度 "。 逆さ死体が湖から突き出ているカットはあまりにも有名だが、横溝正史のオドロオドロしい世界観を強烈なビジュアルに還元することで、観客の目を飽きさせないことに徹したのだ。 不気味な仮面を被った"スケキヨ"も、もはやバラエティ番組などに使われるくらいのインパクト!