ポツダム 宣言 全文 日本 語

Sat, 06 Jul 2024 04:05:16 +0000

これはいったいどうしたことなのでしょうか。まさか「平和的傾向を持つ責任ある政府」が樹立されていないとでも……と言いつつ、今の日本政府だと確かに不合格かもしれないですね……。 長くなりました。ここで結論を言いますと、確かにポツダム宣言の内容は恫喝であり「押しつけ」であり屈辱的なものだったのかもしれません。が、それは旧帝国支配層にとって特にそうだったということであって、戦後日本国に生まれ育ち、ここまで自由と民主主義を曲がりなりにも享受してきた私たちとしては、それなりにありがたいことだったのではないでしょうか。現状に問題点があるのは当然ですが、もしこの経緯がなかったら、われわれの日常生活はいったいどうなっていたことでしょうか。 われわれがこの経緯に対して、もし何か恥じるべき点があるとすれば、それは「日本人は、自分たちの手で自分たちを民主化(したがって近代化)できなかった」という事実にあるでしょう。日本の近代化は外圧によってなされた。しかも敗戦という極めて苦い経験のなかで、多くの血の犠牲の代償を払ってなされたのです。この歴史的事実をどう評価・総括するか。それは現代のわれわれの課題です。

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「日本は無条件降伏していない」という説は1978年に文芸評論家江藤淳が言い出したことで、国際法学者のなかにも一定の同調者がいる。その根拠の一つは、宣言の文面で無条件降伏を勧告されたのは日本軍である、というのであろうが、一国の国軍が降伏したのに国自身は降伏していないという理屈はいかにも苦しい。またもう一つの根拠は無条件ではなく条件付きだった、というもので、たしかに一理ありそうにみえ、苦し紛れに「条件付き無条件降伏」と言った人もいたそうだが、ポツダム宣言で示された条件はいずれも軍国日本にとって屈辱的なものであり、日本側が条件として持ちだしたことではない。そういうのは条件付きとは言わない。無条件に押しつけられた敗戦国の義務としかとりようがない。 今のこの時期に、敢えて「日本は無条件降伏したのではない」と言うのはどのような意図があるのだろうか。無条件降伏した国でないなら、なぜかくも長くアメリカ軍の基地が残っているのだろうか。昨今の為政者は「ポツダム宣言を詳らかには読んでいない」と公言してはばからないようだが、ポツダム宣言は読まなくとも、天皇の「終戦の詔書」ぐらいは目を通しておくべきであろう。

前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。 13 We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction. 吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス 我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。 出典 The Ministry of Foreign Affairs "Nihon Gaiko Nenpyo Narabini Shuyo Bunsho: 1840-1945" vol. べトナム独立宣言(和訳付き). 2, 1966 外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊 The Huffington Post 2015年05月20日