何を飲んでいたの? つまみは? 江戸時代の日本の居酒屋はこんな感じだった! (2016年1月15日) - エキサイトニュース(2/3)

Tue, 30 Jul 2024 15:13:12 +0000

江戸時代の居酒屋さんで食べられるおつまみについては分かったけど、じゃあ肝心のお酒はどんなものを飲んでいたのか? 江戸時代の人たちが飲んでいたお酒は、主に清酒や日本酒、また焼酎なんかも飲んでいたらしいよ。 ただ、冷やで飲むということはなく、一年中熱燗で飲んでいたそうな。 江戸時代の人たちはとにかくお酒が好きで、朝起きて飲み、昼にも飲み、夜にも飲むといったことも珍しくなくて、仕事中でも関係なくお酒を飲んでいたんだって。 ただ、当時のお酒は水割りで飲むのが一般的で、アルコール度数も5%程度だったらしいから、意外とたくさん飲めたのかもしれないね。 江戸時代の人は酒豪?!「酒合戦」で盛り上がった! 江戸時代の人はとにかくお酒が好き!ということは記録にも残っていて、当時はどれだけお酒を飲めるかを勝負する「酒合戦」がとにかく盛り上がったそうな。 寛文7年(1667年)に出された酒合戦記「水鳥記(すいちょうき)」は、有名な絵師、菱川師宣が挿絵を描いたことでも有名で、この水鳥記は当時の「ベストセラー」になったほど人気があったんだって。 水鳥記の元になったのは、地黄坊樽次(じおうぼうたるつぐ)と大蛇丸底深(おろちまるそこぶか)の二人の酒合戦で、この酒合戦で使われた盃には、なんと七号ものお酒が入る大盃が使われたそうな。 とにかく江戸時代の人は、たくさんお酒を飲んで盛り上がるのが大好きだったんだね~。 まとめ 江戸時代初期の居酒屋は立ち飲みスタイルだった 江戸時代の居酒屋では田楽や芋の煮ころがしなどが出されていた 江戸時代は朝も昼も夜も関係なくお酒を飲んでいた

水割り日本酒のルーツは江戸時代!その理由と蘇った江戸酒を紹介 | [-5℃]日本酒ラボ

居酒屋にメニューがない! 酒と肴はどうやって注文したのか?

江戸時代のお酒事情の噺 - 酒噺│もっとお酒が楽しくなる情報サイト

手の込んだ料理や収納名人を真似た断捨離などの「おうち時間」の過ごし方に飽きると、早々と家飲みをはじめてしまうご同輩たちよ。外ならば一杯二杯で済むものを、家の気安さから杯を重ねて後悔する東京・酒飲みクラブのみなさん。どうぞご安心ください、ついついお酒を飲むのはあなただけのせいじゃない(かどうかはわかりませんが)、土地の記憶がそうさせているのです。200年以上前から「江戸の呑みだをれ」と言われ、江戸の町や人びとは酒道楽の呑み助認定をされていました。そんな呑み助たちがせっせと通った大江戸居酒屋事情から庶民が狂喜した馬鹿馬鹿しい大酒合戦まで、江戸の上戸にまつわるエトセトラをとくとお飲み、ではなく、ご覧あれ。 酒での失敗はいつの時代も武勇伝!

甘酒の歴史 Vol.2 江戸時代|お米の国、日本の甘酒とお祭りの話。|マルコメ

商人魂!江戸時代にも百円ショップ(100均)みたいなお店があった 雑学カンパニー編集部 雑学カンパニーは「日常に楽しみを」をテーマに、様々なジャンルの雑学情報を発信しています。

「くだらない」、その語源は江戸時代のお酒にあった?意味や由来を解説! | ガジェット通信 Getnews

世界的な和食ブームのためか、日本の居酒屋が世界でも人気です。さまざまな料理があって、食事もできるしお酒も飲める!……日本の「居酒屋」は外国人からすると珍しい存在なのです。この居酒屋ですが、そもそもは江戸時代にできたのが始まりなのです。 ■江戸には1, 808軒も居酒屋があった! 江戸時代のお酒事情の噺 - 酒噺│もっとお酒が楽しくなる情報サイト. 現在の東京に負けず劣らず、江戸時代の江戸にも居酒屋が多数ありました。1811年(文化8年)の調査によると、江戸には「1, 808軒」の「煮売居酒屋」があったことが分かっています。この「居酒屋」という名前が現れるのは寛延年間(1748-1751年)のことで、このころには、居酒屋として開業する店が多数だったと考えられます。というのは……。 ■もともと酒屋が店先で始めたもの! 後年「居酒屋」に発展する「お酒を飲ませる店」は、まず酒屋の店先で、そこに「居て」お酒が飲めるという「居酒」(いざけ)の商売を始めたのが大本といわれているのです。独身男性が多かった江戸の町では、この居酒がお酒を飲むスタイルとして元禄時代(1688-1704年)にはすでに確立されていたようです。 また、居酒といっても最初は立ち飲みばかりだったようです。ですから、近年流行した「立ち飲み屋」というスタイルは、江戸時代に先祖帰りした飲み屋の形態ともいえるのです。 ■店先には「さかな」が並んでいました! 江戸時代の「居酒屋」がどんなだったかを描いた絵を見ると、どんなものが肴(さかな)として供されるのか分かるように、店先に「ゆでダコ」「野鳥」がつるしてあったり、魚などを置いているものが多いのです。現在ならプラスチックなどでできた食品サンプルを置くところですが、江戸時代ですから実物を置くしかなかったのですね。 また、居酒屋というと「縄のれん」というイメージがありますが、これが一般的になるのは江戸時代の終わりぐらいのこと。明治時代後半にはすっかり「縄のれん = 居酒屋」が定着していました。 関連記事 「大学生活」カテゴリの別のテーマの記事を見る 学生トレンド 学生旅行 授業・履修・ゼミ サークル・部活 ファッション・コスメ グルメ お出かけ・イベント 恋愛 診断 特集 大学生インタビュー 奨学金 テスト・レポート対策 学園祭 バイト知識 バイト体験談 おすすめの記事 合わせて読みたい 名店&隠れ家店も! 神楽坂の超おすすめ居酒屋11選 創業200年も!?

日本古来のお酒である日本酒。江戸時代には水割りにする飲み方がメジャーだったということをご存知でしょうか?その裏にあるのは、まだ発達していたとは言えない醸造技術の中、なんとか美味しいお酒を飲もうという江戸っ子たちの想い。 今回は、江戸時代の日本酒事情や江戸時代を再現したおすすめの日本酒についてご紹介します。いますぐ日本酒の水割りを飲みたいという方は、こちらの記事を参考になさってくださいね。 日本酒の水割りを美味しく作る方法!アルコール度数12度、温度は5度が目安 1. 「くだらない」、その語源は江戸時代のお酒にあった?意味や由来を解説! | ガジェット通信 GetNews. 日本酒は、江戸時代ではアルコール度数 5%程度 だった 江戸時代の日本酒は、水割りにして飲むのが主流だった と言われています。そのアルコール度数は10%以下だったとのこと。 現在の日本酒の原酒のアルコール度数はだいたい17~22度であることを考えると、江戸時代の日本酒は低アルコール飲料だったことが分かります。その理由は一体何なのでしょうか。 1-1. 江戸時代も、原酒のアルコール度数は17度~20度で今とほぼ同じ 醸造学の権威として有名な小泉武夫教授が行った実験によると、江戸時代の日本酒は非常に濃い味のものだったといわれています。 現代に残る江戸時代の資料どおりに酒造りをしたところ、 アルコール度数は17~22度と現在の日本酒の原酒と変わらない にもかかわらず、糖度と酸度がとても高くみりんのような日本酒ができあがったというのです。 この日本酒を薄めて飲んだところ、アルコール度数5度になるまで味には大きな変化がなかった とのこと。このことからも、 江戸時代には日本酒を水割りにしていたのではないか と考えられているのです。 1-2. 酸味や糖度が今よりも何倍も高く濃い江戸の日本酒 小泉教授が再現した 江戸時代の日本酒は、アルコール度数は現代と変わらないものの、アミノ酸度・酸味の高い味の濃い ものでした。 糖度にいたっては、4倍から5倍 ともいわれています。 この要因のひとつと考えられるのが、当時はまだ洗練されていなかった醸造技術。日本酒の味の決め手となる米の磨き度合い「精米歩合」(せいまいぶあい)にいたっては80%~90%前後だったり、すべての工程が今よりも技術がなかったためというのが通説です。 酒造りが始まった当初は、臼(うす)と杵(きね)を後ろ足で踏む「足踏み精米」という技術で米は精米されていました。江戸時代後期になると、水車を使った「水車精米」が主流となります。 15kgの玄米を夜通し2日間水車精米し、できあがった米の精米歩合は82%ほど。足踏み精米にいたっては、その歩合は92%程度だったといわれています。 精米歩合が低いということは、米にたんぱく質などの栄養が残ったままということ。 食用であれば旨味のもとになる栄養も、日本酒を仕込む際には味の雑味に繋がってしまうのです。 発酵の段階ではより糖化が進み、味の濃い甘い日本酒ができあがったと考えられます。 1-3.

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