ただ 有明 の 月 ぞ 残れる

Tue, 30 Jul 2024 13:53:38 +0000

百人一首 81番歌 ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ 有明 の 月ぞ残れる 「千載集」夏161 「暁に時鳥を聞くといへる心を詠み侍りける 右大臣」 by 後徳大寺 左大臣 藤原実定(さねさだ) 1139~1191 藤原公能(きんよし)の嫡男。 俊成の甥 定家の従兄弟 実定の姉は 藤原忻子=後白河帝 中宮 藤原多子=近衛帝后、二条帝后 ほととぎすが鳴いた方を見ると、そこにほととぎすの姿はなく、ただ 有明 の月だけが空に残っていました。 実定が右大臣の頃、48歳頃、平家が壇ノ浦に滅んだ頃に詠んだ歌。 時鳥(ほととぎす)=夏の訪れを知らせる鳥 朝1番に鳴くといわれる時鳥の声を聴くために夜を明かして待つ平安貴族の優美な情景を詠んだ歌 番外メモに続く

ほととぎす - 小説

ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる 北陸3県でも連載した「ヒロシマを生きて 被爆記者の回想」が、自費出版の本となったことを昨日の福井面で紹介しました。この本に、広島原爆の被爆者で毎日新聞OBの山野上純夫さんが、前述の百人一首の古歌を引いたあとがきを寄せています。88歳からの3年にわたる広島面での長期連載(北陸ではその一部を掲載)の心境はそういうものだったのかと、連載の段取りをした私の胸に深く響いたので紹介します。 古歌の意味は、明け方に鳥の声がする方に目を向けたが、ただ前夜の月が残っているばかりだったというものです。空から消えていく途中の月を見た人のうつろな心情が伝わってきます。

和歌に詠まれる「有明の月」はどうして寂しい心情を表すのか? 平安時代の人の気持ち|コペルくんWithアヤ先生@Note大学初代教授💕|Note

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (安倍仲麿:遣唐使) 「古今集」 21. 今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな (素性法師)「古今集」 23. 月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里:博学の儒者) 「古今集」 30. 有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし (壬生忠岑:古今集の選者の一人)「古今集」 31. 夜 – レモン水. 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則:蹴鞠(けまり)の名手)「古今集」 36. 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ (清原深養父=「日本書記」編者の舎人親王の子孫) 「古今集」 59. やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな (赤染衛門: 女流歌人)「後拾遺集」 68. 心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな (三条院:第67代天皇)「後拾遺集」 81. ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる (後徳大寺左大臣=藤原実定)「千載集」 86. 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな (西行法師:各地を旅行)「千載集」 92.

夜 – レモン水

<特記2> 絵本『ぼくら、うりうりブラザーズ』読み語り動画(谷英美と仲間たち) [YouTubeにより無料配信中](9分27秒) ・読み語り:谷英美(たに えみ)『アローン・シアター』主宰 女優 ・音楽(作曲/演奏): 西山淑子(にしやま よしこ) 音楽教室『よしこの音楽室』主宰 ・歌 :森田早貴(もりた さき) 航空自衛隊航空中央音楽隊 ヴォーカル&ピアノ担当 ・著者:わたなべ ちとせ 手作り絵本・童話創作歴23年 一般社団法人/日本児童文芸家協会所属 健康第一!口内衛生と活性酸素除去で免疫力アップ!

[ 江戸川柳、俳句、狂歌、都々逸 ] | 江戸こぼれ話 笑左衛門残日録 - 楽天ブログ

12. 25 Twitter より) 東天にまたたく火星 かけ足で来る日暮れ ぽつりぽつりと灯る 小さなランタンたち 甘いもの好きな妖精 いたずら好きな小鬼 赤いランタンを手に 招くよ、さぁあそぼ (2020. 10. 22 Twitter より) うす闇にまんまるの緑の目。 子猫だったのに、 すっかり若猫さん。 いつも二匹でいたよね。 もう一匹は 無事に大きくなったかしら…… どうしたのかと思ってたよ、 元気だったね。 にゃ? とだけ挨拶して とおりすぎたけど またきみに会える? 会えるといいね…… (2010. ほととぎす - 小説. 29 Twitter より) あかりのない世界にともるあかり – Dream-Song – Sunlight, moonlight, Twilight, starlight— Gloaming at the close of day, And an owl calling, Cool dews falling In a wood of oak and may. Lantern-light, taper-light, Torchlight, no-light: Darkness at the shut of day, And lions roaring, Their wrath pouring In wild waste places far away. Elf-light, bat-light, Touchwood-light and toad-light, And the sea a shimmering gloom of grey, And a small face smiling In a dream's beguiling In a world of wonders far away. ("DOWN-ADOWN-DERRY" Walter De La Mere 1922) Hey, diddle, diddle-Mother Goose Hey, diddle, diddle, The cat and the fiddle, The cow jumped over the moon. The little dog laughed To see such sport, And the dish ran away with the spoon. へい、ぎ~こ、ぎ~こ へい、ぎ~こ、ぎ~こ ねこさんつまびく バイオリンぎ~こ ちちうしおっかさん つきとびこえた ざれごとみててさ こいぬちゃん きゃわわ わ~ん そいでさ おさらとスプーン すたこらさっさ~ (マザーグース Hey, 拙訳) (2019.

既に説明したとおり、満月は地球を挟んで太陽と反対方向にあるときの月ですから、満月を与謝蕪村のように夕方に見れば「月は東に日は西に」ということになりますし、明け方に見ればその逆(月は西、日は東)ということになります。(真夜中なら南中しているので南の空ですね。) 以上のことから、 夜が明けても空に月が残っているという現象は、「満月」から「新月」の間だけしか起こらない 、ということがわかります。 というわけで、満月から新月までの日であればいずれも「有明の月」になり得るのですが(夜明けに空を眺めればよい)、 百人一首などの和歌に詠まれる際には、特に下弦の月を過ぎた左側だけが光っている月のことを指している場合が多い ようです。 ちなみに、 次の新月が4/12ですから、あと1週間ちょっとくらいは「有明の月」を楽しむことができます。 ☆ではここでクイズです 突然ですがクイズの時間です。 🌸小倉百人一首には、「有明の月」を詠んだ和歌は4首収められています。すべて答えなさい! どうですか?思いつきますか?ここに正解を書いてしまうとすぐに見えてしまいますので、ちょっと別の話題を挟みましょう。 ☆平安時代の人にとっての「有明の月」 基本的には、 「有明の月」を和歌に詠む場合には、どちらかというと物寂し気なニュアンス、寂しい心情の描写、場合によっては寂しいを通り越して相手を恨んで憎む、という感じになりがち です。(私もすべての和歌に精通しているわけではありませんが、傾向としてはそう言えると思います。) 🌸なぜでしょうか? 現代と平安時代の違いについて考えてみてください。 そうです、 平安時代には、電気がありません ね。 ですから、 平安時代の夜は、現代と異なりホントに真っ暗なのです。 (その分、星空はめっちゃ奇麗だったことでしょう…🌟) テレビもスマホもない真っ暗な世界。普通に考えたら、 日が沈んだらとっとと寝るしかない わけですね。現代人と違って、基本的にはオール(徹夜・徹宵)なんかしなかったと思います。オールしても何も見えませんからね。 つまり何が言いたいか。 平安時代の人が「有明の月」を見る機会なんか普通はあまりなかったはずなんです。 それでも和歌に「有明の月」を詠むということは、「好きな人を待っていたのにちっとも来てくれないで、待ってる間に先に有明の月が出てしまった」とか、そういう特殊事情があるときに基本的には限られる んですね。でないと平安時代の人は有明の月なんか見なかったと思います。 ですから、和歌において「有明の月」という言葉は、寂しい心情を詠むときに使われる場合が多いのです(絶対ではありませんが)。 ☆まとめ 🌕与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」をリアルに楽しめるのは満月!次は4/27!

こちらの記事 で既に説明したとおり、 満月は地球を挟んで太陽と反対方向にあるときの月 ですから、満月を与謝蕪村のように 夕方に見れば「月は東に日は西に」ということになりますし、明け方に見ればその逆(月は西、日は東) ということになります。(真夜中なら南中しているので南の空ですね。) 以上のことから、 夜が明けても空に月が残っているという現象は、「満月」から「新月」の間だけしか起こらない 、ということがわかります。 というわけで、満月から新月までの日であればいずれも「有明の月」になり得るのですが(夜明けに空を眺めればよい)、 百人一首などの和歌に詠まれる際には、特に下弦の月を過ぎた左側だけが光っている月のことを指している 場合が多いようです。 ちなみに、 次の新月が9/17 ですから、今月は「有明の月」を見るチャンスはもうあまりありません。 この機会を逃すと次は10/2の満月から10/17の新月まで見られません ので、ぜひ明け方に空を眺めておいてください。 ☆ではここでクイズです 突然ですがクイズの時間です。 ✅小倉百人一首には、「有明の月」を詠んだ和歌は4首収められています。すべて答えなさい! どうですか?思いつきますか?ここに正解を書いてしまうとすぐに見えてしまいますので、ちょっと別の話題を挟みましょう。 ☆平安時代の人にとっての「有明の月」 基本的には、「有明の月」を和歌に詠む場合には、 どちらかというと物寂し気なニュアンス、寂しい心情の描写 、場合によっては寂しいを通り越して相手を恨んで憎む、という感じになりがちです。(私もすべての和歌に精通しているわけではありませんが、傾向としてはそう言えると思います。) なぜでしょうか? 現代と平安時代の違いについて考えてみてください。 そうです、 平安時代には、電気がありませんね。 ですから、 平安時代の夜は、現代と異なりホントに真っ暗 なのです。(その分、星空はめっちゃ奇麗だったことでしょう…🌟) テレビもスマホもない真っ暗な世界。普通に考えたら、日が沈んだらとっとと寝るしかないわけですね。 現代人と違って、基本的にはオール(徹夜・徹宵)なんかしなかったと思います。 オールしても何も見えませんからね。 つまり何が言いたいか。 平安時代の人が「有明の月」を見る機会なんか普通はあまりなかったはず なんです。 それでも和歌に「有明の月」を詠むということは、 「好きな人を待っていたのにちっとも来てくれないで、待ってる間に先に有明の月が出てしまった」 とか、そういう特殊事情があるときに基本的には限られるんですね。でないと平安時代の人は有明の月なんか見なかったと思います。 ですから、 和歌において「有明の月」という言葉は、寂しい心情を詠むときに使われる場合が多い のです(絶対ではありませんが)。 ☆まとめ というわけで、今日もいろいろな教科を融合させたお話でした。このように、 複数の教科をまたいで横断的に知識を整理すると、各教科の知識がよく定着します よ。まさに「総合的な学習の時間」ですね!