水森 かおり ご 当地 ソング 都 道府県

Tue, 30 Jul 2024 09:15:55 +0000

本当にいろいろと一生懸命やってくださいました。デザイナーとしての務めもそうですし、しっかりと私の気持ちにも寄り添ってくださって、あのドレスを作ってくださったんです。何度も何度も『瀬戸内 小豆島』の歌を聞き込んで、イメージを膨らませて、デザインも何十回書き直して、やっとできたのがこれですと見せていただいて。膨大な量の資料と試作品でした。初めて巨大衣裳を見たときに、感動して、涙が出てしまいました。 ーー篠原さんは、水森さんのどういうお気持ちに寄り添ってくださったのですか? 水森かおりさん:初めてのご対面 自らの歌碑に 桜井 /奈良 | 毎日新聞. 去年はコロナ禍で、会いたい人に会えなかったり、行きたいところに行けなかったり、見たい景色を見られなかったり。そういう方が多い一年だったので、故郷をすごく遠く感じた方も多いと思うんです。だから、私は歌を通じて、みなさんの故郷の海や山の景色を思い出してもらえたらいいな、という話をともちゃん(※篠原ともえの愛称)にしたんです。 ーーその思いは今回のセットリストにも反映されそうですね。 そうですね。私の場合はご当地ソングを歌わせていただいているので。今はなかなか自由に旅行も行けない状況ですが、こういう時だからこそ、歌で旅してほしいと思っています。明治座にいながら全国各地を巡っているような、そんな旅気分を味わっていただけるような構成にしたいと考えています。 また、昨年末の巨大衣裳のほかにも、紅白で着た歴代の等身大ドレスもお見せしたいなと思っています。久しぶりに着るドレスもあるので、着れなかったらショックなんですけど(笑)、目でも楽しめるステージにしたいですね。 ご当地ソングの女王として心掛けていること ーー「ご当地ソングの女王」と言われている水森さん。水森さんご自身は、東京出身ですが、全国各地のご当地ソングを歌う時はどんな心がけをされているのですか? 今、ご当地ソングが125曲あります。初めて歌った歌が青森県の歌だったんですけど、私は東京生まれで、全然青森にご縁もゆかりもないし、青森の人は怒るんじゃないかなと思って。恐縮する気持ちで、いいのかなと迷いながら歌っていたんです。 でも初めて青森に行って、地元の皆さんの前で歌った時に、すごく喜んでくださったんですよ。「よくぞ故郷の歌を歌ってくれた! ありがとう!」って。あぁ、勝手に自分で思い過ごしていただけなのかもしれないと気づきました。こうやって皆さんが喜んでくださるなら、もっと地元のみなさんに愛していただけるように、応援していただけるように、認めてもらえるようになりたいと思い、その土地のことを勉強するようになりました。 その土地の歴史やお国言葉を調べて。現地に行ったら、必ずタクシー運転手さんに、ガイドブックには載っていないようなおいしいお店や安売りしているスーパーを聞いています。とにかくその地元に入り込もうと思って。そういう情報を言うと、「なんで知っているの?」と言われて、そこでまたぐっと距離が縮まるんですよね。 水森かおり 最愛の父を亡くして。これからの水森かおり ーー昨年はコロナ禍でしたし、7月にはお父様を亡くされ、とても大変な一年でした。水森さんご自身、いろいろなことを考えられたと思います。歌い手として、何か目標が新たに生まれたり、考え方が変わったり、何か変化はありましたか?

水森かおりさん:初めてのご対面 自らの歌碑に 桜井 /奈良 | 毎日新聞

そうですね。自分の進路について初めて真剣に考えたのが高校3年生の時。高校2年生の時にニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックを好きになったことで英語に興味を持ったんですけど、英語を活かせる外資系の会社で働きたいと思い、やがて秘書という仕事に憧れを持つようになりました。その勉強のために短大に進学し、アメリカにも留学させてもらいました。 ――そこまで具体的に将来を考えていたにもかかわらず、歌手への道を決めた決定打は? 留学先のホストファミリーの前で、日本語のクリスマスソングを歌ったらすごく感激してくださって。その時に、自分の中の歌が好きな気持ち、漠然と思い描いていたけどフタをしていた歌手へのあこがれが、パンとはじけて。そこから本格的に歌の道に進むための行動に移りました。 ――デビューに至るまでの修行期間もあったとは思いますが、その時期はどのように過ごされていましたか? 山川豊さんの妹分を募集するというコンテストに応募して、それが今の事務所(長良プロダクション)に所属するきっかけになったんですけど、2年間はレッスンを受けながら事務所のスタッフとして働いていました。 ――その頃の思い出などは? 最初の頃は、短大の友人たちが卒業して社会人としての日々を満喫している傍らで、正直、「自分はこの先どうなるんだろう?」「明日から来なくていいよと言われたらどうしよう…」という不安でいっぱいでした。いつデビューできるかもわからない状況だったので。でも、振り返ってみれば、その2年間があったからこそ、表に立っている人達を裏側からどのように支えているのかがわかったし、すごく貴重な経験をさせていただけたなと思います。 ――そして平成7年、『おしろい花』でデビューを果たされますが、歌手になる夢が叶った心境はいかがでしたか? ついにここまで来たか! と思いましたが、これからは、まだ歌手として未完成な状態でもお仕事としてステージに立つわけで、改めてプロの世界の厳しさや現実を知りました。その分、「覚悟を持って挑まないと!」と思い、気持ちを入れ直しましたね。 ――デビューして最初のお仕事は覚えていますか? 実は私、デビュー日を大阪で迎えたんですよ。「演歌は西から」という伝統もありまして、デビュー前後の一週間はずっと大阪に滞在して、そこから関西各所の放送局やレコード店さんにご挨拶回りをしていました。だから今回、20周年のメモリアルコンサートを大阪で開催できるのがすごく嬉しいんですよ!

母親 水森かおりさんの母親は昭和13年(1938年)生まれの81歳(2019年現在)で、名前は 千代子 さんだそうです。 そんな母親の79歳の誕生日には、水森かおりさんと姉で洋服をプレンゼントし、好きなゴハン屋さんで乾杯したとブログで報告されていました! これに対し、母親は『これを着てメモリアルコンサートに行く!』ととても喜んでいたとのこと。 素敵な家族ですよね~ そんな 母親の若い頃の画像 もブログに掲載されていました。 横顔だけですけど、美人な雰囲気が漂っていますよね! 姉 水森かおりさんの姉は 大出久美子 さんです。 「ご当地ソングの女王」として全国で広く親しまれている水森かおりさんの実姉で、幼少期には「歌うま姉妹」として、地元で慕われていたそうです。 その後、自身のキャリアを考えプロへの道を断念するも、歌へ関わりたいという気持ちから カラオケ教室を開講 。 現在は、100人を超える生徒と共に、演歌や歌謡曲を中心に歌に親しんでおられます。 また、それ以外にも出身地である東京都北区を中心にイベントも多数出演され、活躍されています! 水森かおりは結婚してるの? 長い間、演歌界の第一線で活躍されてきた水森かおりさんですが、その結婚事情が気になりますよね。 そこで調べてみたところ、現在(2019年)までに 結婚はされていない ことが分かりました。 2019年9月25日に東京・中野サンプラザで行われた「メモリアルコンサート~歌謡紀行~」に出演された際も、司会者から「年末までに幸せな報告は?」と聞かれると、 楽曲「高速 さくら路」にちなみ、「満開な報告ができたらいいんですけど、散りっぱなしで…。一生散っている感じですね…。」と苦笑いで答えておられました。 また、カップリング曲「笑顔で遠まわり」でコラボしたお笑い芸人のサンドウィッチマンから「そろそろ水森姉さんも素敵な男性を探していただいて。姉さんも遠まわりしすぎですよ。そろそろ近道を探していただいて」というビデオメッセージが届けられると、 水森さんは「(サンドの2人に結婚相手を) 紹介してっていつも言っている んですけど、なかなか。『姉さんに合う人を吟味しておきます』って言われて、それっきり。口だけですね、社交辞令」と明かし、 彼氏がいないことを示唆するような発言 もされました。 しかし、本人には結婚の意思があるようなので、いずれは良い報告が聞けるかもしれませんね!